修行
令和元年8月28日水曜日
ある禅寺のお坊さんが
若い頃、大学で仏教学を勉強して卒業と同時に修行道場に出かけた。
よし、これからどんどん修行するぞ❗️と意気込んでいたのに
道場では掃除や庭の木の手入れ、畑仕事ばかりで
なかなか坐禅をしたりするような修行が始まらない。
それでも多少は坐禅をするようになってきたと思ったら、
偉いお坊さんの世話係の役目になった。
すると、
三度三度の食事の支度、掃除、お師匠さんが書かれる為に墨をすっておくことや
毎日ある来客の接待ばかりで
全く坐禅の時間が取れない。
まるで喫茶店で働いているような状態になったそうだ。
夜でも食事やお風呂の仕度が有るので
坐禅はおろか、お経の勉強も何もやる時間がなかった。
「雑事」
それでも何とか仕事に慣れて
手早く済ませて坐禅や勉強をする時間を捻出する工夫をしていた。
心の中では掃除や食事の仕度は雑事で、坐禅やお経の勉強をすることが修行やと二つに分けて考えていた。
だから、何とか修行の時間を取りたいが為に
お師匠さんのお世話や来客の接待が疎かになっていった。
ある日、古い中国のお坊さんが書かれた本を読んで
ハッと思わされた言葉を見つけた。
「糞掃堆頭、一顆の明珠を拾い得たり」
ゴミための中から一粒の真珠を拾ったという意味だ。
そのお坊さんは考えた。
雑事の中に光る珠が埋もれているのかと。
だから、一生懸命雑事=ゴミの山をかき分けるように
さっさと終わらせて真珠の珠を見つけようとした。
だけどいつまで経っても真珠は見つからない。
もう無理か、と思いかけた時
ふと氣がついた。
雑事=ゴミの山と思っていたが
雑事=真珠の珠じゃないか❗️と。
理美容師の修行も
全く同じやと思う。
ハサミを動かすことも大事やけど
プライベートも含めて
全てが修行、一生修行。
665日目。